大丈夫になったもの

昔はリゾットとかおじやとか嫌いだった。なんでかというと、ゲロみたいだからだ。よく「お茶漬けもダメなの?」と聞かれたがそれは大丈夫。ぐちゃぐちゃしてないから。白いご飯をこんもりとお茶碗に盛ってそこに具を乗せ出汁をかける様は、会席料理の椀物のようでいて美しいのでむしろ好きな部類。それは今でも変わらない。次に聞かれるのがおかゆ。おかゆは具が入ってしまうとダメだったなぁ。ゲロみたいで。ただ何も入れないで真っ白なおかゆは大好き。雪解けみたいで。

肉は赤身のところが内臓みたいでグロかったので嫌いだった。ワシのふとももの肉も切ればあんなんだと思うともうダメだった。ホラーすぎた。あと、ワシが乱食い歯なので肉は噛み切れないことがおおいというのも嫌いな理由のひとつだった。

しいたけも幼少の頃はだいっきらいの部類だった。しいたけというか、でかいきのこ。マツタケですら臭いしグロいしロテンだよなと思っていた。だからエノキとかなめことかあまり香りのしない小さいきのこは大丈夫だった。

こう書くとほとんどの理由が「見た目」。ところが20代後半というか30も間近になってきて、ようやく上記がおいしく食べれるようになったのですよ。肉は「火が通っていること」が条件なのはあいかわらずではあるけど(ユッケは見た目が内臓すぎる。レバーも。)、以前のように、炭になるほどまで完全に赤身を消すようなことをしなくても食べられるし、焼肉屋に行こうと言われても怪訝な顔をせずにすんでいる。これはここ2〜3年のことです。
リゾットや、おじやは、20代に入ってから友達と「世間一般でおいしいと評判の店」とかに割りと行くようになってからじょじょに大丈夫になっていったと思う。ようするに今までリゾットとは名ばかりのまずいものを食べていたんじゃないかと。おじやはずっと酸っぱい食べ物と思っていたしな。というかイタリアンも鍋ももともと大好きなのに、これらがダメというほうがへんだ。
しいたけは、今となっては、炭焼きしいたけとか、石焼しいたけがあったらよだれたらして食うくらいすきになっちゃったよ。うどんや鍋に入ってるのも大好きだし煮物に入ってるのも味がしみて本当においしい。これはもう大好きの部類になってしまった。いつからこうなったのかわからない。

で、よくよく考えると、昔嫌いで食べられなかったものが今食べられる、という変化を遂げた食料のほとんどが「見た目」がダメだったパターン。価値観の変化なんだろうか、よくわからんけど、「見た目」が理由じゃないものは今でも嫌いだ。
納豆、牛乳、卵豆腐、刺身、寿司。特に寿司なんて見た目はとてもキレイでカワイイしオブジェクトとしてすごく美しいと思うのに、ひとたび口に入れると口の中に海臭さが広がって胃液が逆流をはじめとらえどころのない食感がワシを不快に叩き落すのである。

でもあいかわらず食べるのは嫌いだ。これはもう昔からわかっていて、昔というか物心つく前から食べるという行為そのものが嫌いで、盲腸の手術をしたとき、オナラが出るまで食事はできませんそれまでは点滴ねといわれて「注射も泣くほど嫌だけど食べなくていいなら一生オナラが出なければいいのに」と言って医師を困らせたことがあるくらい嫌いだ。
だからなのかどうかわからないけど、ワシには食べ物にこだわりがない。この料理にはあれがないとみたいな、たとえば、酢豚にパイナップルが入ってようがなかろうが美味しければどっちでもいい。
あと、料理の中に入っているコレが嫌いみたいなものはない。肉がまったくダメだった頃もハンバーグは食べれるけどステーキはだめといったような感じの肉嫌いだったし。肉料理はダメだけど肉が材料の料理はOKっていうところか。そうでもないんだけど。
小学生の頃、カレーに入ってるにんじんをひとつひとつつまみだす子とかレーズンパンのレーズン(チーズ入りパンのチーズ)をつまみだしながらパン部分だけを食べる子とかいたけど、そういうのは昔っからまったくなかった。香草類がダメというひとがたまにいるが、あんなに存在感のないものをダメというのは何なんだろうと思う。どこに入っているかすらわからないよ。

あとあんまり関係ないけど、何かを食べて「ん、これには○○が入っているね」と材料やスパイスを言い当てる人は何の超人だろうと思う。ワシは●●という料理を食べたら●●という味しかしないんですよ。

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